風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その184+365+347)

『民営化されるということは、必ずしも利用者寄りになるということではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 今さら両さんが記録メディアの劣化とか知らないわけないだろ…。(挨拶)


 雨は午前中で上がったが、晴れはしなかった。気温は低いまま。しかしその影響なのか、個人的にはここ数日体調が良い。寒いことは正義だ(言い過ぎ)。
 というわけで、今日から郵便局は完全民営化へとスタートを切ったのだが。小為替の発行手数料がいきなり\10から\100になったり、微妙な振替手数料の変更で小金を稼ごうとしたり、分かりやすくセコイ印象を受ける。
 まあ、民営化するということは、営利が第一になるということでもあるから、そういう意味ではやる気があるのだとも言える。しかし、大半の人はそのようには解釈せず、いつまでも負担が増したと愚痴り続けそうだが。


 賭けてもいいが、一年後の今頃には各種報道メディアが母数の少ない極小規模のアンケートをとって、負担が増した、という結論を出すことだろう。変革があるたびに行われる恒例行事である。