風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(10年目その1)

『注目すべきはその飛躍』


 10年目だったらしいんです。(挨拶)


 今年の夏は関東は割りと普通に晴れが多く、そこそこ暑かったのだが、その他の多くの地域では天候不順で野菜が高騰したりしていた。もともと夏前の長期予報ではエルニーニョ現象を根拠に冷夏が予想されていたので、予想通りといったところ。しかしおそらくだが関東の人は、また予想が外れた、と思っている可能性が高い(というか風鈴製作者の周辺には多かった)。人間、自分の周囲を基準に考えるものである。
 さて夏コミのレポートも書かなかったのに、何故いまさら10年目第1回の日記を書いているのかというと、とても興味深い、というか、人類史上に残るかもしれない報道を目にしたからである。


 ――――核融合炉の実用化に目処が立ったというのだ(記事はコチラ)。


 興味のない人にはまったく分からない話なのだが、凄く簡単に説明すれば、記事の内容が事実であり、本当に商業的実用化に漕ぎつければ、その他の発電方法はほぼ無用の長物になるほどの膨大な電力が生産可能になり、エネルギー問題は根本から解決するということだ(無論フェールセーフの観点からその他の発電法も維持すべきだが)。
 いまだ世界に起こり続けている争いの、原因の多くは物の奪い合いだ。大国が絡む戦争や紛争は全てそうだと言ってよい。核融合炉が実用化すればそういった争いはほとんどなくなる。エネルギーが充分ならば代替の利く資源も多いため、エネルギー資源に限らず、生産資源に関する争いも今よりはかなり減るだろう。
 民族の自治・独立に関する騒動もある程度は減るはずだ。小規模民族の独立を認め、それら小コミュニティを維持するだけの余裕が生まれるからである。かつて人類の生活水準が低かった頃は、全体というものを強く意識して皆が同じ方向を向いていないと集団を維持できなかったことに対し、現代になるにつれて技術革新が進み、生活水準が向上すると個人主義が台頭し、社会がそれを許容できるようになったことと同様のことが起こるはずだ。
 最後に残るのは宗教的対立だろうが、それだって中世の頃と比べれば、格段に穏やかな対立になっている。そもそも宗教の成り立ちは生きることへの不安に根差しているケースが多い。生活に対する不安が減れば、宗教に頼る人は少なくなるので、結果として宗教対立も小規模なものとなるだろう。


 無論そこまでになるには数百年の時間が必要だろう。人は合理的ばかりではないので、様々な面で感情的な抵抗があるはず。しかし最終的にはそうなる。この記事は、そこに向かうための前提条件のひとつが満たされたかもしれない、というものだ。実は風鈴製作者は以前にも核融合炉については少し触れていて、今世紀中には難しいのでは?、と書いている。今でも記事の内容を疑っているし、生きているうちにはお目にかかれないだろうなと思っている。だが、心の底から本当のことであって欲しいとも思っている。技術の素晴らしい飛躍の瞬間が見られるからだ。