風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その342+365+347)

『三人寄れば文殊の知恵。百人寄れば烏合の衆』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 いくのんとシルシルってキャラ被ってるよな…。(挨拶)


 明け方(5時起床)は少し寒かったが、日中は昨日にも増して暖か。世間では梅の花が咲き乱れている。
 人間は群れる生物である。そして生活様式が単純だった原始の頃は特定、ないしはごく少数の指導者が率いていた集団も、社会が複雑化するにつれて各分野の専門化が進み、特定の人間が全てを指示し、集団を維持していくことは無くなっていった。
 だが必ずしも指導していく側が大人数ならば良いというわけではない。船頭多くして船、山登る、という言葉にもある通り、たくさんの人間があれこれと相反する指示を出していれば誤った方向に進むのは時間の問題なのである。


 しかし実のところ、あらゆる分野において誰よりも優れ、無尽蔵の体力を持った人間がいれば、その人物一人に全てを任せる方が上手くいくだろう。いわゆる独裁というヤツだが、しかしこの場合、万が一、その一人が間違えるとそれが率いている集団が丸ごと躓いてしまう危険性がある。独裁制が忌避される理由である(けして独裁そのものが禁忌なのではない)。