風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その35+365+347)

子供の日って、つまり子供に奉仕する日……か?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 児童ワラワラ、幼児ワンワン。(挨拶)


 今日も晴れ。昨日と同じく薄曇りだが、十二分に暑い。しかし夕方以降は涼しくなった。ところで“夕方以降”と表示しようとすると“優雅退行”と変換されるのだが、…これは風鈴製作者が優雅さに欠けるというPCからの警告だろうか?
 機先を制しておくと、子供の日には子供向けのイベントが各地で多くなるため、そのせいで子供をつれて出かける親子連れが多いことは理解している。
 ……というわけで、今年も無闇矢鱈に子供の姿が目につく日だった。本来、子供の日とは、子供の健やかな成長を願う日である(らしい)。少なくとも子供の言いなりになって、奉仕する日ではないはずなのだが、実情はそれに似た状況だ。


 多くの親は、子供に喜んで欲しくてそうしている、と言い張る人がほとんどである。もちろんその結果として喜び楽しむ子供もいるだろう。しかし必ずしも外に出ることが有意義であるとは限らない。子供とはその場その場で最良の楽しみを見つけるものだ。普段行かないような場所に足を運ぶのも一興だろうし、どこにもいかず家の中で何かに耽るのも間違いではないだろう。