風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その284+365+347)

『何もかもを肯定するならば何も考えなくて良い』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 アニメ化? …微妙じゃない?(挨拶@かんなぎ


 曇っていた分、昨日ほどではなかったが、それでも暖かい。
 昔、『Noと言えない日本人』(←これでタイトルが正しいかは不明)という本があった。随分前の本だが、確かに今になっても物事をハッキリ断る、または否定することができない人間は多い。そして、同時にイエスマンも多い。(※あの本は日本人の曖昧な態度を揶揄した本です。当日記の内容にはあまり関係がありません)
 あくまでも個人的な意見だが、「No」と口にするということは、相手の意見、提示した条件を拒否したことになり、その代案を自分から提出しなければならない、つまり相応の思考・行動を伴うことになる。つまり、そういった代償を払うことができない(その覚悟が無い)人間は、けして「No」とは口にしないだろう。つまりそういうことではなかろうか。


 全てを肯定するならば、考える必要はない。真理である。しかしそれは家畜の生き方に他ならない。