風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その283+365+347)

『旗師が扱うモノは物質からデータへ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 デューク東郷の声、舘ひろしなんだって? …馬鹿じゃないの?(挨拶@舘ひろしが馬鹿なのではない)


 暖かい。半端ない。麗らか。日没後、自転車で疾走していても寒くなかった。
 旗師と呼ばれる人たちがいる(いた)。主に市場から市場へ渡り歩き、宝飾・美術・骨董品などを自らの目利きのみで仕入れ、販売する一種の行商人である。現代風に言うならば転売屋だろうか。
 転売屋というと否定的な意味合いが強くなってしまう(と思う)のだが、しかし旗師というのはそれなりに文化的には認められている存在である。一昔前だと裕福な人間がお抱えの旗師を雇うこともあったというから、蒐集家にとって、旗師たちの情報網やコネクションは重要なものだったのだろう。
 しかし現代では通信技術が発達しているがゆえに情報はすぐに出回り、ネットワークが普及したため大抵の情報が誰にでも手に入ってしまう。だから旗師個人の目利きによって、モノの価値が左右されることはありえない。各種業界が組織的に商品の囲い込みを行い、価格を決めて、急激な価格高騰・暴落が起こらないようにしているからだ。その中で旗師が個人として活動できる場はとても限られるだろう。


 旗師のように個人で商材を動かしていくのは今後、さらに難しくなると思われる。今はまだ企業体が公平性を無視した営利活動(先着販売など)をしているため、やれなくもないが、時間の問題だろう。そんな中でひとりでもやれることといえば、ネットワークの片隅で細々と発表されている有益なデータを発掘し、売り込みをかける(プロデュースする)くらいだろうか。