風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その269)

『知らない世界は、“無い”世界。そういう幻想を抱かせようとする偏屈』


 魔法の言葉、“外史”。(挨拶)


 晴れ。昨日、一昨日と冬らしい陽気だったが、何やら再び暖かくなった。今週頭の寒冷前線通過時と同じような天候変化で、日没くらいにはまた急に寒くなると踏んで厚着をしていたら、思いの他、暖かさが残って汗ばむことに。むぅ…。
 今年、いくども各地で見舞われた局地的豪雨を指して“ゲリラ豪雨”という言葉が生まれたが、これが気象に関わる人々の間で、その是非を問われているらしい。記事はココで。
 局地的豪雨のイメージし易さから流行ったこの言葉だが、一部の人からは戦争を連想させるということで、問題視されているらしい。…個人的には何故、戦争を連想させてはいけないのか不思議だ。もちろん、そういったイメージから戦争などで辛い目に遭った経験を思い出し、不快な気分になる人が高齢層にいるのは理解できる。しかし、それもごく一部の人の話ではないだろうか。大多数の高齢者の方は軽く受け流せる程度の言葉だろう。むしろ、そんなことにまで配慮しているという姿勢が、かえって滑稽に見られるのでは?


 そういった戦争に関わる言葉などを殊更に敵視する人の主張として他にありそうなのは、子供にそういった軍事用語を覚えさせるのはよろしくない、とかだろうか。しかし、そうやって子供を誘導し、戦争という現実から目を背けさせ、どこまでも自分たちは平和な世界の住人であるという幻想を抱かせる方が異常だ。