風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(6年目その4)

『人は穏やかになった。世界平和は遠くはない』


 始解とか卍解とか虚化とか無月とか ド ン とか。(挨拶@もう50巻目前なんですね)


 さあー、年末も押し迫ってまいりましたぁ! …10月に父親が死にました。いやマジで。
 前回、2010年は怒涛の展開と書いたけれど、本当にハチャメチャが押し寄せて留まることを知らない今日この頃、いかがお過ごしでしょうか、風鈴製作者です。転勤もしたらしたで、すぐにまた異動だし、異動先は結構、激務だし、上記の理由から引っ越してものの数ヶ月もしないうちに今度は実家に引っ越したりで何が何やら。全然、家の中が片付かないから、コタツを出したのも昨日のことだったり。まあ、寒いのには強いし、12月にしては暖かな気候だったので、さほど問題はなかったのだが、しかし飼い猫が寒いのか、それとも寂しいのか、風鈴製作者の肩に乗って離れないという新芸を覚えたり。
 ところで何やらお隣の国では北と南で戦争未満の小競り合いを繰り返しているようで、それに呼応して米軍がしゃしゃり出てきて韓国軍や自衛隊と合同演習をしているし、北の国の報道も相変わらず、?☆Иυ●£ニダ!朝鮮語、解りません)、と断固たる対応を取るという意を表明しているのだが、今のところ、どちらも宣戦布告はしていないし(※朝鮮戦争は形式上まだ続いているから、もし再開されても宣戦布告は行われないことは理解している)、都市部への攻撃など、大々的な戦闘行為も行われていないようだ。
 この状態は近現代の歴史から見れば、かなり平和的な流れではないだろうか。最初に北の国からの攻撃を受けた延坪島は、人口1500人ほどの小さな島とはいえ、住民の存在するれっきとした韓国の領土だ。しかも今回の件では民間人の死人まで出ている。40年以上前ならば間違いなく戦争に突入していたと思う。もちろん、戦争とは主に何らかの利益を得るために行う政治的行為であって、怒りにまかせて行うようなことではないが、半島における民族的意義やそれを掲げることによる政治的影響などを考えると、戦争になってもおかしくはなかっただろう。
 もちろん今後も他国の介入も含め予断は許さない状態だろうが、少なくとも、自国民の安全を守るため、と声を上げて、小を保護するために大なる犠牲を出してしまうような、国家として愚かな事態にはならないと思われる。韓国内の世論がどうなのか詳しくは判らないが、それでも政府に対する不満から暴動になったりはしていないようなので、とても冷静でよく考えているのだと評価できる。穏やかで平和的だ。


 …でもね、住民がいないとはいえ、不法占拠をされて前線基地化まで進められているのを黙っているのは、ただの馬鹿だと思うのですよ。