風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(6年目その2)

『諍いの原因は“私は貴方とは違う”であるが、そこにある感情は1種類ではない』


 海兵隊と第七艦隊が本気になったら日本なんて半日保たないのでは?(挨拶@そんな超・戦力が抑止力にならないとでも?)


 今月に入って以来、穏やかな気候が続いている。子供の日には東京でも25℃を越えたりとなかなか風鈴製作者を苦しめてくれる。しかし今日の朝方は10℃近くまで気温が降下するなど、東・北日本では軒並み寒気に見舞われた。山間部では降雪も多かったようだ。
 議論を行う上で、前提としてけして崩せない条件を相互確認しておくことは当然のことだ。例えば予算の割り振りを行う場合ならば、使える総額を確認しておかなくてはならないし、家を建築するならば、手配可能な資材を考慮した上で設計するだろう。こういった前提条件をクリアできないような絵空事を口にして憚らない行為は、議論とは呼べない。
 しかし、少なくともここ15年以上、そういう議論とは呼べない行為を各所で延々と繰り返している議題がある。いわゆる『最近の若者は』的議論である。
 大抵の場合、当初は互いの問題点などを挙げて、その点について相互に意見を述べているのだが、中盤になると必ず出現するのが、年配の方の“私たちが若い頃は…”という発言だ。こういった発言が出た瞬間に議論は破綻へと急降下する。当然だ。何故なら現在は“私たちが若い頃”ではないのだ。それはとうに過ぎ去ってしまった時代であり、現在ではまったく状況も条件も違う。そんな異なった条件化での体験談など、生理的現象などのごく一部の例外を除いて、議論上、何の意味も持たない。そんなことくらい容易に理解できることのはずなのだが、一向になくなる気配はない。多分、そういう人たちは初めから議論をする気などなく、自分の主張を押し通したいだけなのだと推察するが…。


 もっとも風鈴製作者とて、ほんの数年ばかり年下の層に、あ、この子らは自分たちの年代とは違うんだな、と思うことは、大学生の時分から今まで多々あった。例えば、サークルの飲み会への参加意欲が低い、などが挙げられるのだが、このことに風鈴製作者と同年代の一部は口々に不満を漏らしていた。もしかしたら、しきりに不満を漏らしていた彼らは数十年後には『最近の若者は…』と言ってしまう中高年になるのかもしれない。――――酔狂にもこのブログをチェックしているらしいM田くん、貴方のことですよ?


※この国の歴史において、文章上に『最近の若者は…』と否定的に記されたのは清少納言枕草子らしいので、どうも年配の方による、異なった常識や文化を持った若年層への懐疑や嫉妬、あるいは羨望を込めた定型句なのではないかとも思われる。