風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(5年目その14)

『人生が楽しくないはずはない。何故なら、楽しむ自由があるからだ』


 ほひひっ。(挨拶)


 いよいよ本格的に冬らしい気候に。それに伴い、風鈴製作者のテンションが上がっていく。やはり冬が好きなのだなと再確認。
 去年の中頃以来、何かというと、景気が悪い、未来が見えない(暗い)、とネガティブなフレーズばかりが報道され、不幸になった人、あるいはこれから不幸になる人が激増するかのような将来像が予想されている――――ような雰囲気を周囲から感じる。しかし個人的にはそんなことはほとんど思わない。そもそも現在の不況というのが、それまで続いていた緩やかな好況と比較して、意図的に強調されているものに過ぎないし、しかもその好況もそれほど実体のない作られた好況だと分析していた(特に不動産)ので、現在の状況も言うほど酷くはないと考えている。せいぜい今まで積み上げてしまった世界的な虚構のツケが回ってきたのだという程度だろう。
 この国の場合、不況によって発生する不幸とは、主に急な解雇や就職難に起因するものだ。だが、この世界に人間の想像力で予想し得ないような理不尽な出来事はあまり起こらない。不況時に不必要な人員を整理するのは必然だ(そのための派遣社員制度だったはず)。つまり充分に事前に予想し得たことであって、予想できるようなことを理不尽とは言わないだろう。ある程度は自身の怠慢や思い込みによって訪れた不幸だとも言える(もちろん全てではない。トンデモな首切りはたまに耳にする)。
 一方、現在、人間社会はかつてなく裕福で自由だ。技術が進み、不便は排除され、娯楽は無数に存在する。法律などの規則、社会常識や周囲の環境から発生する制約や肉体的制限はあるものの、本人が望む限り、やれないことはほとんどない。どう行動しても、何を思っていても、何を口にしようと、何に祈ろうとも、自由だ。そんな世界で、自分は不幸だ、何もしたいことができない、と思っている人は、抱いている願望がよほど肥大しているか、あるいは不自由なままでいたい人、つまり自由になろうとしていない人だろう。そして、同時にその事実に気付かない、気付こうとしていない人に違いない。そういう人は、まず自分が本当に不幸なのか、また、自由とはどういうことなのかということから疑ってみると良いと風鈴製作者は考える。


 最後に最近したことー。
 『西尾維新アニメプロジェクト 特別試写会』に10倍以上の倍率を突破して当選したので行ってきた。『超なでこスネイク 其の弐』は変態だった。劇場スクリーンだったので超・変態だった。
 PCのメインHDDがもうずっと危篤状態だったので、いい加減、危険と判断して交換。これで購入時から残っているパーツはマザボとLANカードだけ。LANもUSB2.0もついてないんだぜ、このマザボ
 東京都の青少年育成に関する条例の答申案で意見を求めていたので、一応、一通り目を通した上で、3,700文字ほどのメール送信。議論のできない(する気のない)答申案に辟易。何も知らない(興味のない)人間が多いのをいいことに、反対派を黙殺しようとしていると思われても仕方のない内容だ。もっと議論すべき。