風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(5年目その12)

『個の強さは孤に支えられている』


 雑草という名の植物はありません。(挨拶)


 11月も半ばを過ぎると、連日、最低気温がは一桁を記録する。しかしつい1週間ほど前までは随分暖かかった。気象庁の長期予報では、今年は暖冬という予想だ。
 人間は集団を為すことで個人では行えないような大きな事業を起こすことができる。どんなに優れた人間であろうともひとりで行える作業には制限があるし、把握できる情報には絶対的な限界量が存在する。そういう意味で“個”は“集”に大きく劣る。
 しかしありとあらゆることに対して集団で取り組めは良いのかといえば、けしてそんなことはない。協力することを是とする格言に、三人寄れば文殊の知恵、という言葉があるが、同時に対語として、船頭多くして船山登る、という格言も存在する。このふたつの格言から読み取れるのは、同じような思考や能力の人間がただ集まったところで意味はない(どころか効率が悪化する場合もある)ということだ。
 個の才能に大きく左右される分野は数多く、たったひとりの人間の発想や行動によって、事態が大きく好転することは珍しくもない。そんなことはないと思っている人も多いようだが、それは単にそう信じている人間(たち)が個人の単独行動を妨害し、足を引っ張っている結果に過ぎない。ある意味で、自分たちで自分たちの首を絞めているだけだ。ひとりで全体を左右するような才能は確実に、しかも一般的に思われているよりはるかに多く存在する。
 また、始めに“個”は“集”に劣ると書いたが、しかし、かといって集団内の個人の能力が全て発揮されているかといえば、まずそんなことはないだろう。よく1+1>2みたいなことが言われるが、ほとんどの場面において、むしろ1+1<2であるように観察される。“集”の重要性とは1×100によって70〜80といった大きなエネルギーを一時に運用できることにある。“個”それぞれの能力を最大限に生かすためには、むしろ群れてはならない。孤独という自由を与えることによって、人は個人の力を発揮するのである。


 さて最後にまったく関係ない話。今朝、何かの報道番組で仙石行政刷新大臣が、自分は仏ですよ(貴方はおっかないと思われてるのでは、という趣旨の冗談に対して)、と言っていた。――――ワンピースの仏のセンゴクにかけたジョークだったのだろうか?