風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(5年目その9)

FU in the HEY

『“和”とは必ずしもただ仲良くすることではない』


 CLANNADは人生Fateは文学ラブプラス浮気。(挨拶)


 今年の夏は涼しかった。過去形にするにはまだ早い時期なのだけれど、世間的にはもう断定してよいと思うので書いておく。何しろ例年、暑い暑い、と何度も書いていた風鈴製作者がエアコンを使用した回数が十指に満たなかったのである。もしかしたらこれまでの人生で最少かもしれない。個人的には歓喜の極みだが、しかし冷夏の影響で野菜の高騰が続いているようだ。まあ、それでも一般的に手が出ないような値をつけているわけではないが。
 集団で作業をする場面において、とにかく殊更に全体の和を重んじようとしたり、仲良くやろう!、なんてわざわざ主張したりする人がいるものだが、実際に全員が仲良しこよしの集団がする仕事というのは一流のものではないことが圧倒的に多い。何故なら、そういう集団には作業内容に疑問を呈したり、失敗に対して本気で叱責する人がいないからだ。同時に問題提起したり、責める人間がいないからこそ、向上心が失われやすく、結果として仕事は二流三流の程度にしかならない。
 もちろん本来、仲が良いというのはそんな馴れ合いの関係ではなく、仲間を思うからこそ苦言を呈し、またそれを素直に受け止められるだけの信用や信頼関係が成り立っているということだ。そういう関係が全体に渡って、初めて和が保たれていると称するべきだろう。ただひたすらに他人の機嫌を伺い、気分を害さないようにするだけの関係は、相手のことを何も信じていないことに等しいし、相反する意見を向けられただけですぐに腹を立てるような間柄は、他者の意見が悪意に基づいているとしか捉えていない証拠である。
 前提として“和”が存在するのではなく、各人が自己を主張し合い、同時に他者を尊重することで“和”が形成される。それを理解せずに“和”が作られることはありえない。


 さてクソ真面目なことを書いてきたけど、以下、重大発表。


 10・億・達・成!(↑)