風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その341)

『被害者以外の声ばかりが際立つ不思議』


 あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ーーーーっ!!、っていうと皆、何を思い出すかな。(挨拶@世紀末リーダー伝とか)


 晴天。気温も上がり、とても春めいた天候(もう春だけど)。
 最近、大学の図書館の本を返還しない卒業予定者や、学費を払っていない高校卒業予定者に卒業証書を渡さない学校があるとかいう記事を見かけた。当然のように、それはおかしい、可哀想だ、という意見が記事内に書かれているわけだが、一体どの辺りが可哀想なのか、意味が解らない。大学も高校も就学者の意志で勉学に励む場所だ。断じて義務ではない。それが全てではないが、基本的に営利目的で運営されているのである。学費を払わない者に、ある種の制裁が加えられるのは当然だし、最後まで払わないのであれば、修了証書である卒業証書を渡さないのは普通のことではないか。無関係の観点から言って、そんなことが許されれば、可哀想なのはむしろ他の学費を払っている就学者や学校の側である。
 ただ、借りた本の未返還を理由に証書を渡さないのはややお門違いかとは思う。未返還者にモラルが欠けているのは言うまでもないが、しかし大学はモラルを教育する場ではない。とはいえ、大学図書館には値の張る本や金銭には換えられない資料も多い。卒業後に個々人に対して返還を求めるのが難しい以上、どうあっても在学中に返還してもらうのが妥当だという判断なのだろう(そもそも卒業してそのまま地元に帰ったりしたら、窃盗だよね)。


 こういった子供(学生)が直接的に影響を受ける話になると、当の学生たちは置き去りにして、その周囲やおかしな人道主義者の声ばかりが報道され、本人たちの意見は一向に聞こえてこない。いったいどう考えているのだろう。彼ら自身は学費を払うために努力しただろうか。本を返さないことをおかしなことだと認識しているだろうか。そういった部分を論議せずに学校側の処置に不満を言うのは、やはり奇妙だ。