風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その338)

『スタンスの確立は老いの象徴。徐々に変化や多様性は失われ、やがて“死”という現象となる』


 性的なクドリャフカが現れた!! コマンド!?(挨拶@指を咥えて観察する)


 朝から曇りで、夕方前から雨。折り畳み傘をバッグに入れていたつもりが、3/1のイベントの際に排除してしまったことを失念していた。まあ、小雨だったので、この程度なら濡れながら帰るのも一興。
 以前から“スタンス”の重要性(大げさか)については書いてきているが、個としての自己を確立・表現するために必要な反面、スタンスを有するということは老いを示すことでもある。
 スタンスを信念を言い換えてもよいのだが、しかしそのように表現すると、まるで曲げてはいけないもののように解釈されることが多いので、あえて“スタンス”と書いている。そう、スタンスは曲げても構わないものだ。正確に書くと、スタンスとはその都度、訂正・修正を行うのが普通であり、そういった変化をするのが人間という生き物だ。そういった変化を拒絶し、自己のスタンスを押し通そうとしたり、頑なに過ちを認めないことは、老いの弊害だと断言できる。事実として、そういった傾向が年輩の方々ほどあるからだ。


 スタンスを得た時点で、人間はそれ以外を認めたくないという意思が働く。それこそが老いの始まりであり、完全に変化を失った者はすでに人間ではない。人間はやがて死んで、“消滅”という方向性から逃れられなくなる。スタンスが一切変わらない人間は、行きながらにしてコレと何ら変わらない。つまりは現象と化すのである。