風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その321)

『他人なんてどうでもいい、なんて言うとよく責められるけど、しかし趣味人はだいたいそんなことを思っていて、しかし無趣味人よりは他人を尊重する』


 リボンズ「僕が一番00をうまく使えるんだ」(挨拶@金ピカ大使臭が…)


 天気は曇りがちになったものの、依然として暑い。急速に気だるくなっている自分を感じる。駄目だ、こりゃ。
 少し考えれば当たり前なことで、趣味を持っている人間は明確にやりたいことがあるが故に、不必要に時間を取られたり、干渉されたりすることを、煩わしいと感じることを知っている。ほんの少しでも思いやりがあれば、他人もそういった感情を抱くことを察し、できる限り他人の行動を尊重し、干渉はしない。それが当然のことだし、そうすることによって自分の自由を守ることにも繋がるからだ。
 しかしそういった感覚を持ち合わせない人々は、そういったスタンスを、他人をどうでもよいと思っている勝手な人間、と受け取る場合がある。どういった理屈でそういう発想になるのか不確定だが、おそらくは誰かに干渉し、干渉されることが望ましいと考えているのだろう。無趣味な人間とは、自分一人、もしくは同好の人間の中で行動が完結することがないから、本来、無関係な人間を自分(たち)の行動に巻き込もうとする。そうすることによって自己の立ち位置を確認しているからこそ“干渉”というものを喜ばしいものだと感じるのだろうが、しかし、だからといって干渉を望まない人間にまでそれを強制したり、拒絶されたからといって、謂れのない非難をするのは見苦しいことこの上ない。


 もちろん“干渉”を望まない側も、望む側もある程度の譲歩は必要だろう。ただ、望む側が一方的に望まない側の人格を否定している場面(社会不適合者扱いしたり)が多く見られるのは事実だ。それは望まない側が、望む側の行動に干渉しないようにしているだけで、そういう行為に不満がないわけではないだろう。