風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その313)

『人を動かすは下策。人に動いてもらうが上策』


 るー。まー。(挨拶)


 昨日とほぼ同じく、日中晴れて、夕方からは風。しかし昨日ほど暖かくはならず、同様に昨日ほど強風ではなかった。雲はなく、月が美しい。
 人間に認識や能力の差、あるいは気分の変移がある以上、人が人を動かすのは困難が付きまとう。例えば1〜10までの仕事を指示したとしても6くらいまでしかできなかったり、あるいは4や7が抜けていたりと指示者には思いも寄らないような結果に終わることも多い。
 では指示者の意図通りの行動を取らせるには、1から10までの仕事を逐一事細かに言い含めるしかないのかといえば、そういうわけではないようだ。やはり被指示者の認識に沿わないことをさせれば、作業効率が落ちるし、指示者自身の仕事にも差し支える。
 理想を言うならば、完全に放っておくのが一番能率が良いのだと思われる。指示を徹底し、1〜5の仕事をさせて6〜10の仕事を残すよりも、放って置いて1〜10の仕事の内、4・7・8が抜けてしまっても、他の誰かにそれを補填させる方が効率が良い(こともある)。言わば人を動かすことはパズルのようなもので、もちろん4・7・8をできなかった被指示者には他の人間が取りこぼした作業の補填に当たらせるのである。そうすることが指示者の仕事だ。


 ただ、この理屈の前提には、被指示者が何も言われなくとも自分で仕事を探し、実行できなくてはならないことがある。最近は“待ち”の人間が多いようだが、そういう人間を“攻め”に変える必要があるということだ。まあ、“待ち”の人間を補填専用にする手もあるが…。