風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その312)

『抱いている想像と現実が同一ならば、何の問題も起こらない』


 オレが宇宙一なんだぁーっ!!(挨拶)


 日中は快晴、とても暖かく。しかし夕方前くらいから強い北風が吹き、雨は降らなかったものの、やや荒れた天気となった。
 なにかというと権利や自由を殊更に大きな声で語り、私の勝手でしょ、みたいなことを主張する人がいる。もちろんその通りだ。この国では法でそれらが保証されているのだから。しかしその結果として周囲に疎んじられたり軽んじられるのは必然だ。そうすることは不当でもなんでもない、正当な評価というものだ。これは人権が法で保証されている他国においても同様だ。何もかも、自分の好きにできると思っているような人間は信用されないし、信頼もされない。
 権利や自由の保証、ひいては平和の維持というものは、あくまでも社会の規範として“そうであるべし”と定められているに過ぎないものだ。個人や団体にそれぞれの意思や方向性がある限り、それに沿わない者の行動や意思はその場での自由を失うものだ。それが当たり前なのであり、つまり現実には人間は自由などではない(本当に自由になるのはその人の内側だけだ)。それが解っていない人間は軽度の社会不適合とみなされても仕方がない。


 平和ボケが何故非難されるかといえば、やはりこの世界は“理想的な平和”な状態ではないからだ。それを認めずに、平和ではない世界など知らない、自分たちは平和であると思いこむのは危険なのである。平和ボケそのものが良くないのではない。もし全世界が平和ならば、そうであることはとても妥当だ。