風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その310)

『企業の真摯さとは、あくまでも企業自身のためだ』


 “アバンストラッシュ”やったことある人、挙手!(挨拶)


 暖かな昨日から一転、再び寒く。まあそれでも平年並み程度なので、何ということもなく。天気は晴れ。
 企業の真摯さとは、ある程度の経営的余裕があるからこそのものだと言えなくもない。やはり体力のない企業が消費者の要望を受け入れ続けるようなことをしていれば、すぐに破綻するのだ。そうなってしまえば真摯さも何もない。だから、どんな企業にもある種の真摯さを要求することは、傲慢であるとも言えるだろう。
 ある業種で事実上の寡占状態にあったり、もしくは絶大な人気を誇り、長きに渡って充分に大きな利益を見込めるような製品を抱える企業は、その余裕を持って、あまり過度の利益追求をせず、利用者や消費者の要望を受け、より有益なサービスを提供すべきだろう。しかし、“すべき”とは書いたが、これはあくまでも企業自身のためだ。これはあらゆる営利行為に言えることだが、簡潔に言って、勝ち過ぎることは危険なのである。あまり独占的に大きな業績を上げれば、羨望と同時に嫉妬を買うし、ましてや利益追求に傾倒し過ぎ、還元することを怠れば、当然のように顧客は離れていく。個人とは必ずしも利益に殉じているわけではなく、心情や雰囲気に流されやすい。そういった部分を慮るための一環として“真摯さ”とは必要なのだ。


 顧客側が利益ばかり追い求めているわけではないという状況にも、企業の場合と同じく、余裕=豊かさがその背景にある。人間のこういう部分はどの国、地域、民族でも変わらないと思う。同じ機能を持ったもので、BがAよりも若干安価でも、Aこそが本物だというのであればAを選択する、といったようなことも余裕があればこそだ。