風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その301)

『身を守ることに高い技術を要求されるハイレベルな国(苦笑)』


 剣の三倍段になぞらえて、銃の三十倍段、みたいな。(挨拶)


 概ね昨日と同じ天気、同じ気候。休日で、しかもよく晴れたので布団を思う存分干した。インフルエンザウィルス死滅のために。
 以前に書いたとおり、正当防衛はけして免罪符ではないと考えている。ただ、それは自己防衛を行った者の内部で、他者を傷つけたことを肯定してよいということではない、という意味だ。正当防衛とはあくまでもその行為によって社会的制裁を課されないための制度であって、誰かを攻撃することそのものを容認するためのものではない。
 ただ、概してその適用には、理不尽なまでの制限があるのが実情だ。一般に正当防衛を行使する者は加害者よりも攻撃性の低い手段を用いて相手を制圧しなくてはならないようだ。例えば相手が棒状の武器を携帯している場合、こちらはより短いか、あるいは柔らかい捕縛道具、ないしは素手で取り押さえなくてはならないのである。そうしなくては過剰防衛だとして罪に問われる。今日、見かけた報道では包丁を持って襲い掛かってきた妻に対し、フライパンで応戦し頭部を殴打、死亡させた事件の裁判で正当防衛が認められず、懲役2年の実刑判決が下されたというものがあった。判決では、被告がフライパンが女性の頭に当たるということを認識していたとして、過剰防衛と認定した、とあるが、では何をもって応戦すればよかったのだろうか。人が手に持って振り回している物体を叩き落とすのはかなり難しい。刃物を受け止めることができ、平面が大きいフライパンは妥当性の高い道具だと考えるが、しかしそれでも動いている人間の、しかも末端の手を正確に叩くのは容易ではない。他の手段としてすぐに思いつくのはカーテンやシーツなど大きな布を防具にした上で、体当たりでもして取り押さえるくらいだが、しかしそもそも正当防衛とは危急なる場合に際し、生命の危険を感じた場合について適用されるものだ。緊急時にそこまで冷静な判断と適切かつ正確な行動を求めることが、果たして一般的と言えるだろうか。


 戦闘において、武器の所持は圧倒的なアドバンテージとなる。硬いものをひとつ持っているだけで大違いだ。ましてや一撃で人を死に至らしめる可能性が高い武器に対し、それよりも下位の武器で立ち向かわなくてはならないというのは、つまり加害者よりも被害者が優れていなくてはならないという、一般化するには無理のある要求をしているに等しい。