風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その299)

『感情的な意見を述べてよいのは当事者のみ。いかな親族であろうと感情論は許されるべきではない』


 半ケツ、→死刑→。(挨拶)


 朝は少し暖かめで、日中は平年並み。晴れて、事もなし。
 殺人や致死事件の刑事裁判に遺族などが参加し、被告への非難や裁判に対する意見を述べるという試みが行われ始めたようだ。確かに情状酌量や精神鑑定など被告の事情を汲んで減刑される要素だけが存在していることは、不当と言えば不当なので一理ある取り組みかとは思うが、しかし被害を受けたことに対して、あらゆる条件下において直接的かつ感情的なな恨み言を言えるのは被害者当人だけだと風鈴製作者は考える。もちろん当事者はすでに死亡しているのだから、文字通り死人に口なしなのだが、元来、そういった部分を汲んで加害者を捕らえ裁くのが司法機関の役割だ。
 それにひとつ気になることがある。知っての通り、現在、この国では仇討ちは法で禁じられている。しかし、被害者の遺族が述べた意見によって量刑が左右され、仮に死刑判決が出てしまった場合、これは間接的な仇討ちになるのではなかろうか。発想の飛躍であることは解っているが、そういう考え方もあるとは思う。


 生活の糧を失うなど、殺人が行われたことによる間接的な被害を訴えるのは理解できるし、充分な正当性があると思う。しかし現在行われている裁判においては、殊更に被告の残虐性や今後も続くであろう精神的苦痛ばかりを述べるに過ぎないようだ。裁判は憂さ晴らしの場ではないと思うのだが…。