風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その297)

『差別をする人間こそが劣等者』


 Yes,we can!(挨拶)


 とても寒く、冷たい雨。雨足はそれほどでもなかったが、終日降り続いた。
 人種や民族といった大集団に対する差別行為に、忌避するだけの充分な合理的正当性が存在することはほとんどない。その原因のほぼ全てが人間の思い込みや幻想によるものだ。肌の色で人格の優劣は判断できないし、現状の生活水準やスタイルによって個々の能力は測れない。
 人間には他者を見下そうとする傾向がある。これは他者よりも上であろうとする向上心に端を発する支配欲に根ざしたものだ。しかし誰もが実質的に人の上に立てるわけではない。能力や運に劣る者が支配者にはなれないのは道理だ。だが、それでも人は誰かを従えたいのだろう。たとえそれが能力的背景のない、組織や宗教、国家によって与えられ、植え付けられた支配感であろうとも、心理的満足感を得るためにそれを受け入れるのである。それこそが現在まで残り続ける無根拠な差別行為の原因だ。


 能力のない人間ほどそういった差別行為に耽溺し、拘り続ける。多分、そうしないと自己の立ち位置を保てないのだろう。そういう自分に気付くことができる人間は恥を知り、自然とそういった行為をしなくなる。しかし気付くことができない、気付こうとしない人間がいつまでも恥を知らずに愚かなままでいるのも事実だ。