風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その295)

『知らぬものを知るものと合わせ、どこにもなかったものを生み出す』


 掃除をすると、つい読み耽る。(挨拶)


 終日雲が厚く、薄暗い。やや風も吹き、昨日とは大違いの寒さとなった。そんな中、先週の連休にやろうと思っていた自室の片づけを敢行。何しろ年末の戦利品もいまだ整理しておらず、部屋は様々な本が産卵している状態で、しかもかなり埃っぽく、結局3時間ほどもかかってしまった。
 考古学や地質学というと、過去にどういったことがあったかということばかり研究する分野で、実質的にはあまり役に立たない学問であると思っている人が多い(もとより学問が社会の役に立たなくてはならないという法はないが)。これと同じような認識を持たれているのが、太陽系の他天体に生命が存在するかどうかという研究だ。現在の常識として、少なくとも太陽系内では地球以外に生命が存在したとしても人間のような知的生命ではなく、微生物程度であろうと考えられている。それを聞くと、大抵の人は、そんなもの見つけたから何だというのだ、と考えるようだ。
 しかし地球を起源としない生命体は、極端な言い方をすれば異世界の生物に等しい。地球生命とはまったく異なる常識の中で生まれ、その命を維持しているのである。その生体メカニズムが既知のものである可能性は低く、それらを研究することは生命起源の研究にあらたなページを刻むことは間違いない。またそういった微生物の中には、人の役に立つ物質を生成する能力を持つものがいるかもしれない。異星生命体を求める研究とはそういう結果が期待できるのである。


 分野にもよるが考古学や地質学は、地球のいまだ知られざる過去にそういった成果を求めているのである。もちろん何も見つからないかもしれない。見つかっても役に立たないかもしれない。しかし探求を止めればそこで可能性は費えてしまう。科学の基本である。