風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その280)

『物語創作におけるリアリティとは、あくまでもその世界でのリアルである』


 いきなり今年のベストヒットかもしれない『TKGしか愛せない』。(挨拶)


 今日も晴れて寒いが、ほぼ無風だったため、陽が射していた日中は幾分か暖かだった。
 唐突だが、今週の『サイレン』における夜科アゲハの行為は殺人以外の何者でもない。一般的に頭蓋を貫通され、全身を細切れに引き裂かれる痛みの衝撃に耐えられる人間はいない。かなりの確率でショック死するだろう。現実に即した世界観の少年漫画の主人公がこういった行為を行うのはかなり珍しいのだが、しかし彼のキャラクタ性は破綻しているのかと言えばそういうわけでもない。彼が、必要と判断したならば殺人も躊躇わない人格なのはドルキ撃破時に彼自身のモノローグで語られている。
 現実世界において日本のような平和な社会において、殺人を行うことは心理面においても容易ではない。殊に平常心を維持しているほどに躊躇いが生じるものなのである。それは相手の痛みや立場というものを想像してしまうからだ。例えば、人に暴行を加えるために棒状のものを振るったとして、それを本当に全力でフルスイングできるかといえば、そうそうできるものではない。たまに暴行事件の報道記事で金属バットや鉄パイプを使用したという一文を見かけるが、意外なほどに相手を死に至らしめていない場合が散見される。野球の経験があるのでよく解るが、金属バットを打席で振るように頭に向かってフルスイングしたら、人間の頭蓋骨など粉々である。


 夜科アゲハは平常心でそれができてしまう。作者がどこまで意図して描いているかは不明だし、“暴王の月”の性質上、敵を倒す=殺す以外有り得ないのだが、彼が現実に即した『サイレン』という作品世界においてイレギュラー的なのは間違いない。他にも「…霧崎…現実って何だ…?退屈に生きることか…?」という厭世的な発言をしたりと、少年漫画主人公らしからぬ部分が多い。この辺りが面白い部分なのだが、しかし同時に人気が振るわない原因でもあるのだろう。さて、どこまで連載が続くのか…。