風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その263)

『普通を認められない人は、どんな場合においてもある種の中二病だ』


 核兵器級地雷ゲー、出現!!(挨拶@CG全14枚!?)


 朝の冷え込みはさほどでもなく、昼間は平年並み。今日も穏やかではあるが、冬なのに湿度が少し高い気がする。インフルエンザの流行が見られるとのことだが、本当だろうか(そもそも“流行”の定義って何だろう?)。
 例えば組織の備品や予算を用い、少数の人間が必要以上の不当な利益を得ることは横領に等しい。これを咎めることは至極当然のことだが、当の本人たちは、お前も含めて、誰も損はしていないのだからいいじゃないか、という反論をする場合がある。第三者が聞けば、どれほど不可解なことを彼らが言っているのかなどすぐに解ることなのだが、悪事を働いている人間は、結構、自分のしていることを正確に理解していないものなのだ。
 当たり前だが、会社のものを利用している以上、無駄に備品を消耗し、予算を浪費することは会社全体の損害となる。それはつまり社員全員が少しずつ損をすることと同義だ。そんなもの微々たるものだと主張する人もいそうだが、その発想の中には他人というものが存在していないという点で大きく誤っている。つまり、自分(たち)だけがそういった行いをしているから大した損害にはなり得ないと思っているわけで、多くの他人も同じことをしている可能性を考慮していれば、“塵積も”になることに気付くはずだ。また同時に、他人もやっているから自分がやっても許されるに違いない、という公算もあるからこそ、そんな“微々たる”不当利益を享受しているはずなのに、いざ自分が糾弾されるとそのことはすっかり忘れて、さも自分は大きな損害は出さないようにちゃんと考えているのだというようなことを口にする。ごくごく普通の非難を認めようとしない人間は、ほとんどの場合、こうした自己矛盾を抱えている。


 それにしても面白いのは、問題行為を直接注意されることを、問題を大げさにされたと感じる人がとても多いことだ。実際はまったくの逆である。直接言われている分には、その議論に関係しているのは当人と忠告している人だけだ。本人に注意せず、いきなり責任者に報告したら、大事になる可能性は飛躍的に上がる。つまりこれが、言われている内が華、ということだ。