風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その251)

『子供に意見されて激昂するまえに、そんなことをされる自らを恥じよ』


 ハレルヤさん、キター!(挨拶)


 起床するなりかなりの寒さを体感し、上野の丸井で気温を確認すると7時過ぎで4℃(※屋上に気温が表示されるパネルが設置されている)。快晴だったが、日中もずっと寒かったらしく、当面、この冬一番の寒さだったようだ。
 ネット上での荒らし行為や謂れのない誹謗中傷など、匿名性を利用した悪意ある行為は確かに存在する。しかし一方では思慮深く、妥当性のある意見を述べる人がいるのも間違いない。真っ当なサイトならばそういった意見は多くの人に受け入れられ、正しい意見が正しいこととして在ることができる。
 一方、現実ではそうはいかない場合が多い。簡単に表現するならば、本当のことを口にすると非難されるという理不尽がまかり通っているのが現実なのである。そういったことが起こるのは、現実の社会における個人には、多くの場合、レッテルが貼られているからだ。例えば『部下』や『目下』、『若造』だとか、もっと差別的なものだと『女』、『外人』、『無職』などが挙げられる。こうしたレッテルによって根拠なく人の意見を軽んじる傾向が人間にはあるのである。そうまでして自分を持ち上げ、気分良くありたいという卑屈な精神性の持ち主が幅を利かせているのだ。


 最近ネットワークの良くない点でその匿名性を挙げる意見が聞かれる(個人的には一部の無理解者の声が大きいだけだと思っているけど)。確かに悪意を持って人を傷つける輩がネット上にいるのは事実だが、それとはまったく別の部分で、ネットワークの匿名性は正当性の確保という役目を担っている。