風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その250)

『今、どこにいるのかを知らず、方位磁針を持たない人間は惑うばかりだ』


 受け取り拒否したって免除されるわけないでしょ。義務なんだから。(挨拶@裁判員制度候補者通知


 今日は快晴、故に気温低下。極寒と言うほど寒くはないが、コートは必要。しかし日差しは暖かだった。
 一人前についての考察。
 一般に一人暮らしがひとつの目安になっているように思われるが、それだけならば仕送りを受けている大学生も一人前だということになる。つまりは経済的に一個人の支援を受けずに成り立っていれば一人前だと考えて良いのだろう。実際のところ炊事・洗濯・掃除などの家事は金銭を払えばどうとでもできるのだから、物理的には金さえ持っていれば一人前だということか(なんとも浅ましい話だ)。
 しかしながら現実には金を“持っている”だけでは一人前だとは認めないという考えも根強い。それは、お金は働いて稼いでこそだという考えだったり、身の回りのことは自分でできなくてはダメだという考えだったりと、多岐に渡る。しかしそのどれもが根拠に欠け、単なる慣例的な考えでそのような思想を抱いているだけというものも多い。例えば、結婚して家族を養って一人前、なども根拠に乏しい。多分、社会の構築には交配して子孫を残すことが不可欠だという事実からそういった発想が生まれたのだと想像するが、財を“家庭”に還元していなくとも、社会そのものに還元している人だっているのだ。単に生んで生ませて増やせば、それで一人前の社会人の役目が果たされたわけではない。それほど単純ではないのだ。


 個人的にはやはりメンタル面での定義づけをしている。思想でも生き方でも何でもいいが、自己のスタンス(立ち位置)を持っている人間は一人前だと考えてよいと思う。それが無い人間は、何をすべきか、見るべき方向も定まらないからだ。