風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その247)

『煩雑さの中から新たな道が見つかることは多い』


 ちょっ…!(挨拶@Me時代によく呟いた言葉)


 今日は朝から快晴。気温も上昇し、重ね着するにも薄手のものにしないと汗ばむほどだった。
 何か分からないことがあるとき、自分で調べようとはせず、すぐに分かっていると思われる人から聞き出そうとする人はとても多い。確かにその方が要点だけをまとめて知ることができるので楽ではあるが、反面、要点のみの教授であるが故に、その周辺の予備知識を知ることはなく、何故そうなのか、どうやってそのような形や手法になるのか、といった“流れ”を学ばない。そういうモノの学び方をしている人間は、大抵、あとで再び障害にぶつかり、また他人に聞いて解決した気になるものだ。他人の時間を奪っていることも含め、愚かしいと言わざるを得ない。
 知りたい物事を調べあげるには、結局のところ資料のありそうな場所でキーワードを元に目的のものを探し当てるしかない。図書館では各分野ごとに本が分けられているし、ネットワークでは検索機能が充実している(最近はブログ等の氾濫で見つけ辛いが)。もちろん、それでも求めた知識を探すために一定の知識は必要だが、それはそれまでに積み重ねた知識を動員して行うものだ。いきなり不相応な知識を求めたところで、不具合を生じさせるばかりである。


 またそうやって雑多な情報の中から精査する過程で、思いがけない別の道筋が見つかることもある。それは現在求めているものとは別のアプローチであるかもしれないし、まったく無関係ではあるが、別の分野で役立つ情報かもしれないが、どちらにせよ、それらは可能性を広げてくれるものだ。