風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その245)

『中身が不可解ならば、それを配布している人間の中身も疑うべきかもしれない』


 亀、亀、もしよー、もしさんよー♪(挨拶)


 今日も晴れたが、やや気温は下降。葉が完全に散ってしまう木も目立ち始めた。
 来年5月に施行される裁判員制度における候補者への通知が行われている。どうやら昨日今日あたりで通知が届いているようで、ネット上のブログやSNSで自分でそれを言いふらしている輩も多い。顔写真や名前まで特定できる状態のものもあるが、もしこれで裁判員に選出されたらどうする気なのだろう。罰則覚悟で出廷しないのだろうか。どちらにしても、とてもリスキーだ。
 どうやら風鈴制作者は候補にはならなかったようだが、知り合いにひとり、候補者になった人がいた。これも別に風鈴制作者が聞いて回ったわけではなく、本人が安易に口にして広まってしまっただけのことだ。迂闊だな、というのが正直な感想だが、どうも本人としてはどうすれば選任されないかを聞きたかったらしい。仕事を休みたくないという理由を挙げていたが、話を聞いた感じでは、裁判に関わること自体も相当にイヤなようだ。
 個人的には1回くらい経験してみるのもよいかとは思うが、一般的にはまったくの門外である裁判になど参加したくないという意見が大勢を占める。つまり国民の多くが裁判員制度を望んでいない。しかも何故か重大な刑事事件のみへの参加であり、もっと身近な民事には裁判員制度は適用されない。制度導入の意義に、一般人の感覚を裁判により反映させるためというものがあるが、そもそも知識も経験もほとんどない一般人に刑事事件の量刑が判断できるかは、かなり、無茶苦茶疑問で、かつ不安だ。しかも裁判の内容を解りやすくするために、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるので、始めから裁判員には全ての情報が開示されない。これで冤罪だったら目も当てられないというものだ。


 意識調査などからも、過半数の人間が参加したくないのは明らかだ。それでも実施する理由は不明だが、どうも一般人の感覚とは隔絶した思考で制度を強行している気がする。…それこそ一般の認識を詳細に調査するべきじゃないの?