風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その236)

『二次創作のオリジナリティを全て否定することは、原作をまったく評価していないことに近い』


 『魚嵐』でブリザード。(挨拶)


 今日も晴れたが、やはり朝は寒い。休暇だったので少し遅く起きたら、リンゴ5個買ってきて、という母からの書置きが。特に特売というわけでもなく、ただどこかで買ってきて、という指令である。…だったら昨日のうちに言っておいて欲しいなぁ。
 たまたま見かけた主に映画のことを扱ったブログで、ハリウッド版『鉄腕アトム』をかなり貶している記事があった(わざわざリンクは貼らないが)。個人的には別にこれでもいいんじゃない?、という感じだ。確かにアトムがヘンな笑い声を上げながら空を飛んでいるが、穴を掘る動きなどは結構“解っている”のではないかと思わせる。
 世間的にはアトムは人間を守る正義の味方みたいなイメージが強いようだが、多分、これはアニメのイメージだろう。原作では人間社会に真っ向から反発し、世界を相手に反抗する話もある。そういった多面性こそが人間の心を持ったロボットである『アトム』というお話の肝であると認識している。だから、仮にハリウッド版で大きな改変が為され、アトムがまるで狂ったロボットのように描かれたとしても、それはそれでアリだと思う。物語的に、人間らしいロボットを誕生させるという過程で狂気に囚われたものが生まれる、という流れはそれほど不自然ではない。


 正義の味方としてのアトムを愛する人たちがそういった改変を好まないのは理解できる。しかしそういった二次創作作品のオリジナリティを頭から否定することは、原作を評価判断していないことにかなり近い。人の評価は常に変動するものだ。信奉するあまりにまったく変化しなくなった評価は、もはや評価とは言えない。