風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その234)

『なんだかんだで心服させるにはある種の美しさが必要』


 遊んでくれてありがとう。つまらなかったわ。(挨拶)


 今日もひんやり冷え冷え冬晴れの日。
 支持を得る手段にはいくつかある。多くの人の利益になることを行えばある程度の支持は得られるだろうし、また単に見た目が非常に美しいというだけでもいくらかは人がついてくる(異論はかなりありそうだが)。しかしそういった表層的なものでは支持は得られても、心服させることはできない。
 例えばとても頭が良い人がいたとして、だからといってその人にいつまでも付き従う人はそう多くはないだろう。これは単に頭の良いだけの人についていっても、何の得にもならないからだ。また上記した、非常に美しい人ならば人はついていく、というのには、その人が自分のものになるかもしれない、という希望的観測があるからだ。故に、それが叶わないと判断されたときに人は離れていく。
 そういう個人的利益に根ざした理由であるうちは、人は容易にくっついたり離れたりする。“心服”とは文字通り心が服するということだ。そこには利潤追求といった物質本位の理由は存在しない。


 心服させるとは、つまり心を落とすことだ。そのために何が必要なのかと言えば、やはりその人物にはない、内的要素で攻めるしかない。よく器の大きさという表現で人物の評価をする場合があるが、しかし大小で測ることができるようなものでは人は容易く寝返るだろう。そうではない、けして測ることのできないものにこそ、人は惹かれるのではあるまいか。