風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その228)

『怨恨による殺人なんてそんなに多くない』


 キミだけが過ぎ去った坂の途中は…。(挨拶@アニメだけ観てる人は驚くだろうな…)


 今日も晴れて昼間は暖かい。朝はやや寒かったが、夜はあまり気温は下がらず。DQ4は取りあえずデスピサロは撃破したので終了。勇者のLVは32。それなりにギリギリだったが、もう3〜5手ほど余裕があり、アリーナの会心もあまり発生しなかったので、そのへんを加味するとLV30くらいでもいけそうな感じだった。
 率直に言って、人を殺す理由は自分(もしくは周囲の誰か)が得をするからだろう。もちろん逮捕されることとその後に科せられる刑罰のリスクやそれに対する怯え、人殺しをしたという後ろめたさなどを考えると人殺しをして得をする可能性は限りなく低いのだが、それでも捕まらない可能性は0ではないのでプラスになる場合もあるかもしれない。
 しかしよく言われる“怨恨の線”というのはどこまでいってもマイナスにしかならないし、そもそも他人を恨んだり憎んだりということをし続けるのにはかなりのエネルギーが必要だ。一般的に人の感情はそれほど続くものではない。仮に感情的に人を殺めた場合、そのほとんどは瞬間的な怒りや驚きなど突発的なものが原因であろう。恨みや憎しみというものはそれほど単純なものではないだろう。概して、複雑な心境になるほどに人は殺人などという短絡的な行動には出ないものだ。


 例えばだが、執拗に攻撃を加えているからといって怨恨だとは限らない。極論、そうすることが楽しいからやったのかもしれない。人を攻撃し、支配する(気分になる)のはさぞかし爽快だろう。誤解を招きそうなことを書いているのは理解している。しかしそう感じるのが、人間の本能的側面なのは間違いない。それらから目を背けることは、人を理解することから逃避することでしかない。