風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その227)

『全ての人間に優秀な感性があるわけではなく、同時に万人の目や耳に触れることは難しい』


 夜明けの晩に? 夜明けの番人?(挨拶)


 今日は晴れ渡り暖かい。ここ数日、何となくPS版DQ4をやっている。戦歴があると、逃げることに抵抗が生まれ、結果としてどんどんレベルが上がってしまう。お金にもあまり苦労しなくなるし、微妙なシステムだと思う。
 音楽CDが売れない売れないとしきりに叫ばれて久しいが、着うたなどのダウンロード数は増加の一途らしいし、歌い手や作曲家の利益にはそれほど影響はないはずだが、それでもCDが売れないことを嘆くのは製造業の減益が問題視されているからなのだろうか…。そういえばダウンロード販売における印税率はどうなっているのだろう。製造業に対する配当がない分、CDを売る場合より印税率が高くないと不当なのだが…。
 ポップスに限らず、音楽業界全体の変化が語られる中で、たまに耳にするのが“長く歌い継がれる曲が生まれない”という意見だ。多分、昔から存在する誰もが耳にしたことがあるような童謡の類のことを指しているのだと思うが、そういった曲を生み出すには、その曲自体の良さも必要だが、それよりも意図的な流行を作り出す必要がある。その一例だが『かごめかごめ』は江戸時代に発祥し、以来、歌詞の変化こそあれ多くの地方に広まっていたのだが、その内容の不可解さから何らかの(政治的、ないしは呪術的)意図を持って何者かが広めたという説がある。当時は遠方への即時的な通信手段もなく、仮にこういった工作をしても自然と広まったように見せられただろう。また近代においてはラジオやテレビなど、短期間に全国に同じ情報を伝えられる手段が登場した。これによってある種の擦り込みを行うことによって流行りを作り出していたのである。


 しかし現代のように情報源が多岐に渡る世界においては、もう意図的に全国民的な流行を作り上げることは不可能だ。いかに人間の根源的感性を捉えた素晴らしい曲を作ろうとも、圧倒的な情報量に押し流され、あらゆる人の耳に届くようなことはない。商業的に、すでにそういったやり方は時代遅れだ(作曲者(クリエーター)の心理として、自分の作品を後世に遺したいというのは理解できるが)。