風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その195)

『現在に存在せず、存在する見込みもないものをあてにするということは、つまり、どうにかなるだろう、という希望的観測に基づいている』


 え、起動時にいちいちトランザムするの?(挨拶)


 今日も晴れ。朝方はとても涼しく、少し寒いと感じるほど。要上着着用。
 先週から金融不安で世界中の株価が下落し続けている。円高も激しく(といっても米経済の落ち込みから考えると緩いくらい。つまり日本経済も激しく減速しているということ)、さながら金融恐慌の状態だ。それを受けて、緊急の蔵相会議が行われ、世界的な金融機関への公的資金の投入が採択された。
 多分、少なくとも一時的には株価は持ち直すだろうが、しかしその投入された資金はどこから出ているのか、将来的にどういう影響が出るのかを論じている報道機関は少ない。取りあえず、現在の金融不安さえどうにかできればそれでよい、という風潮も見られる。確かに今回の金融不安による恐慌は、緊急に対処すべきものだろうけど、その先を考えずに行ってよいものかどうかといえば、けしてそんなことはない。パニックであるときにこそ、冷静に考えるのはあらゆる場面での常識だ。


 公的資金とはつまり国家の財産であり、その多くは税金や国債で賄われている。殊に緊急に予算を組む場合、国債を追加発行するなどして費用を捻出するわけだが、将来的に返済する必要がある以上、それはつまり未来からの借金に他ならない。そうやって国家の借金が膨らんで、将来の財政に影を落としているわけだが、さて、昔のようなインフレが起こりえない未来において、どうやって返済する気なのでしょう。