風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その190)

『宣伝には最適な手法があり、必ずしも映像や音声は必要ない』


 おっと、テレポーター!(挨拶)


 曇り一時晴れ。だんだんと雲で覆われた範囲が広がり、夜には雨となった。あまり涼しくはなく、半袖シャツ1枚で出歩いていても大丈夫だったが、外ではあまり同じような服装の人は見かけなかった。額に汗を浮かべるなど、暑そうにしている人も多かったが、何故、上着を脱がないのだろうか。
 電車内のモニタで流されている映像は基本的に無音だ。だから映像的演出で内容を伝えるしかない。しかし、見ている限りではそのことをちゃんと認識していないと思われるものが多い。TVCMをそのまま流しているものは論外だし、台詞をフキダシを使って表示しただけのというのも、音声としての言葉とは違い、ニュアンスが伝わりづらい。形式的に一番適しているのは漫画調にすることだが、それでも1コマずつ表示せざるを得ないから助長的になるため、情報伝達に時間がかかるという弱点がある。


 以前、TVCMを見て思ったことだが、イメージ先行でまったく具体性のない内容のものは宣伝として意味があるのだろうか。車の走行シーンやPCの外観を見せられても視聴者には何の情報も伝わらない。おそらくは、こういう新商品を発売します。だけど実際に販売するのは小売店ですので、詳しいことはそちらで聞いて下さい、という仲介業者や小売店を相手に商売しているメーカーとしての姿勢の表れなのだろう。