風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その186)

『自分が生きた時代を否定できない依存心』


 おっ、高須棒でてきた。(挨拶@TVA『とらドラ!』)


 昨日と比べると少し曇っていたが、それでも快晴に近い晴れ。気温はそこそこ。平年並みといったところか。
 バブル期の不良債権に費やした空白の10年を過ぎて、少しばかり経済が好況に向かいそうな気配を見せたら、原油価格や食料価格の高騰に加えて、サブプライム破綻による影響や米国金融界の混乱に巻き込まれ、またしても先行きが不透明な状態になっている。――――とまあ、経済に関する一般的な認識はこんな感じだろうか。
 しかし、何度か書いていると通り、物価に関しては今までが安すぎたという側面もある。ハッキリ言ってしまえば、これまでは無理矢理に安価に抑えていたということであり、そういった状態を背景に大量消費を繰り返していたのが異常だったと評価できる。
 異常だった、と書いたが、こういう言い方をすると年配の方の多くは不快な顔をすることが多い。別に個々人を否定する意図はどこにもないのだが、どうも社会というものに自分のアイデンティティを依存している傾向があるようで、以前の社会常識を否定されると、自分自身をも否定されたように感じるのかもしれない。その時点での社会常識を構築したのは、さらに以前の人々だろうし、それだって個人によって作られたものではない。個人が負い目を感じるようなことではないだろう(そもそも全てを否定しているわけでもないし)。


 だいたい、風鈴製作者の世代だって未来においてはまるで評価されない世代になると思う。ここからしばらく(数10年くらい)は経済を安定化させ、維持する時代になる。その中心を担う世代は、多分、一般的には“何もしていない世代”と酷評されるだろう。