風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その181)

『二次創作をもっとも上手くやってのけるのは、結局、原作者本人に他ならない』


 バッチこーい!(挨拶)


 曇り。昨日よりもさらに涼しくなり、最高気温は20℃を割った。個人的には歓迎すべき状態で、徐々に体調が良くなっている(ように感じられる)。しかし世間的には急な温度変化に対応できず、風邪をひく人が多いみたい。
 二次創作と聞いても、普通の人はあまりピンと来ないようだ。要するにある物語作品における舞台設定やキャラクタをそのまま利用して、新たな物語を創作する行為であるのだが、こういう説明をしても、それってパクリって言うんじゃないの?、と思う人も多い。まあ、ある意味ではその通りではあるが、一般的に商業流通させなければ問題ないようだ。もっともそれも原作者、あるいはその権利を持っている団体が黙認しているから許されるのであって、二次創作系同人はそういったおおらかさによって支えられていると言える(もっとも宣伝効果を見込んでのこともあるようだが)。
 同人誌やSSなど星の数ほどの二次同人作品が存在するが、しかしその多くが同人作家の願望を書き連ねているだけで、原作を無視したかのようなものも数知れない。そういった作品のほとんどがエンタテイメントとしては落第といってよいもので、個人の趣味に合う合わない以前の問題を抱えている。そんなに自分の嗜好や趣味を前面に押し出したいならオリジナルで書けばよいのに、とたびたび思うのだが、よほど題材にしている作品が好きなのか、それとも自分の創り上げる世界に自信がないのか知らないが、オリジナルにチャレンジする人は少ない(小説ではそれなりにいるようだが)。


 二次創作とは作品を愛し、理解した上で新たなシチュエーションを生み出すということだと思う。これは別におかしなことではなく、相応に価値ある行為だ。ただ、作品をこの上なく理解しているのは、やはり原作者だ。どんなに深く愛し、読み込もうとも、それを越えることはない。それは人が人を理解することはないのと同じことだ。