風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その175)

『人に何かを勧めるにはその有益性の根拠が必要だが、結局のところ、本当に必要なのは信用と信頼でしかない』


 マリアさん、17歳。(挨拶)


 仕事が休みだったので、買い物に出かけよう、と思っていたら、あいにくの雨。だが、そんなの関係ねぇ。そこにかかった母の声。「ついでにエビ天3個買ってきて♪」。…月刊誌と週刊誌を抱えながら商店街へ行ったとさ。
 儲け話に他人を誘う際には、やはりそれが成功するのだという根拠が必要となる。しかしそれを語るのはあくまでも誘っている側であり、誘われている側はそれを元に参加の可否を決めなければならないのだが、誘われている側の知識量にもよるが、その判定材料は多かれ少なかれ誘っている側の言を信じられるかどうかという部分が重きを占める。
 根本的な懸念として、はたして誘っている側の言葉そのものに嘘がないかどうか、という点が問題となる。人間的な信用がおけるかどうかということだ。次に問題となるのは、仮にその言葉に嘘偽りがなくとも、誘っている人間の認識自体が誤りである可能性があることである。つまりその人間の能力に対する信頼度が問われるわけだ。


 こういったことはどんな場面でも適用される。言葉には常に嘘がついてまわり、人の認識は誤りだらけだ。だからこそ信用と信頼が重視されるのであり、それらはけして容易に得られるものではない。