『重要なのは、その内容の持つ価値である』
臨兵闘者皆陣列在前。(挨拶)
台風は速やかに過ぎ去り、東京地方は風も雨もさほどでもなかった。午前中には雨は上がり、あとは晴れ。少し暑くなった。TVなどではよく強風や洪水の被災地の様子が映されるが、おそらくその多くは谷間や山裾にある地域だと思う。平野部にある東京都心は、それと比較すると被害が小さいことが圧倒的に多い。
あるニュースで陰陽師の男性とその妻が無許可で自宅で様々な動物を飼育していたり、詐欺的な商売をしていて書類送検されたと報じている。その内容自体はありふれたものなので、どうでもいいのだが、なんだってわざわざ“陰陽師”という称号をそのまま記事のタイトルに使用しているのだろうか。一応、この現代でも陰陽師は私的祈祷などを行う人々としてその存在を認められているが、言ってしまえば単なる自営業だ。殊更に取り上げるようなことでもない。記事には、神事に動物の魂を使うために飼っていた、なんて書いてあるが、一般的に見れば彼らの仕事の演出のために飼っていたというだけのことだ。
もちろんこれはタイトルの“装飾”の一部であり、とにかく記事を読んでもらおうという動機からの行為だろう。日々、大量に生産される記事野中で、ほんのわずかでも多くの人に興味を抱かせ、記事を読んでもらうために、見出しとなる部分に制作者なりの工夫を凝らした結果だ。こういった傾向は各種の広告や、本のタイトル、あるいは著者の名前(ペンネーム)などにも用いられる手法であり、さして目新しくもない。ただ、本来、タイトルとはその内容を簡潔に伝えるために存在するものだ。だから意味不明なタイトルや、内容と無関係のタイトルは読者(あるいは利用者)の利便性を無視した独りよがりなものでしかない。
もちろんそういうことばかりしていれば、そのうち誰からも相手にされなくなるのだが、それでも一時的には目を引くことができるから良し、と思っているからこその行動なのだろう。きっと書いている人も一時的な仕事として軽い気持ちなのだと想像する。