風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その163)

『とはいえ、中二病的症状無しに社会的ネタ話は楽しめない』


 つまり中二病でも高二病でも大二病でもなくなるには黙るしかないわけで。(挨拶)


 今日も澄みやかに晴れ。気温もさほど上がらず28℃くらい。朝夕はとても涼しく、油断していると風邪をひきそうなくらいだった。
 最近の若い人(主に学生)は無根拠で無秩序な自信に満ち溢れている人が多いようだ。風鈴製作者の周囲にも、何か失敗しても、その原因を探らないままに再び同じようなことが原因で失敗を犯す人がまま見られる。もちろん今までにもそういう馬鹿な人はいただろうが、現在の場合は、自分自身に妙な自信を持っているようなのである。どうも、「自分はやればできる、ただ今回は少し手を抜いていたからできなかっただけ、次は問題ありません」、と主張するのだ。こういう傾向は後述する中二病の症例リストにも入っているが、中二病のままに大人になってしまっていると見るべきなのか、それとも単に親に、あなたはやればできる子、と甘やかされ幼児的万能感を有したままなのか、どちらなのだろうか。
 中二病の症状で、今の自分は本当の自分ではない、と思い込むものもある(これが重度になると特殊なキャラクター設定を自己主張し始めるのだが…)。上記のような言動・行動はこの症状の変形だとも考えられる。つまり、失敗した自分は本来の自分ではなく、本当の自分はもっとできる人間なのだが、何らかの理由で本来の力が発揮されていないだけ、という考え方だ。やればできる、と思っているだけならば、挫折を繰り返せば自然と解決するものだが、自身の失敗を外的要因によるものだと思い込んでしまうと、いくら挫折をしたところで“本当の自分”は優れていることは間違いないという妄想を抱き続け、それを拠り所に無根拠な自信を持ち続ける。こうなるとカウンセリングが必要な段階だろう。


 しかし、はてなキーワード中二病の項に症例リストがあるが、それらを全て行わないように(中二病ではない)ように振舞おうとすると、かなりの無理が生じる(今、初めて知ったが、そういうのを裏中二病と称するらしい)。要は適度に中二病になって、少しばかり社会の在り方を否定して、適度にやさぐれる経験をしておくのが、結果としてまともで一般的な社会人になるためには良いということだ。