風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その147)

『剥奪されたものを求め、奪い、それによって他者を傷つけていることを自覚しない人間は多い』


 『サイレン』がようやく面白くなってきたじゃないか。(挨拶)


 今日も雨。昨日よりも少し気温は上がって、やや蒸して外出中は汗ばんだが、それでも涼しいもの。ここしばらくはエアコンいらずの日々が続いている。
 虐待を受けたことのある人は自分の子供にも虐待を行いやすいというデータがあり、その原因として挙げられている理由のひとつに、親からの愛を受けていないが故に愛の注ぎ方を学んでいないからだ、という説がある。どこまで信頼できる話なのかは風鈴製作者には判断できない(する気もない)が、個人的には愛を失いたくない、自分にだけ愛を注いで欲しいという願望がそうさせるのではないかと思っている。
 親からの愛を受けていないというのは、自身の存在を認めてもらえていないことに近いと思う。仮に、成長してからそういう存在認定を恋人や配偶者に求めたとするならば、それを奪いかねない子供を憎悪するのは自然な流れだろう。


 もちろん親たる人物とその子供ではその役割も存在意義もまったく異なる。注がれる愛そのものが別種のものだ。しかし愛に飢えている人間にはその判別がつかないのだろう。こういうのも“愛は盲目”と言うのだろうか。