風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その129)

『広大な資産を持てば、細部は甘くなる』


 ざざぜがわざざみさんとか、あららららぎくんとか。(挨拶)


 今日も晴れて酷暑(ちょっと表現に変化をつけてみた)。猛暑日かな、と思っていたが、しかし記録上は34℃らしい。もっとも同じ地域でも場所によって大きく違うので分からないが。
 HDDもどんどんと大容量化し、しかも安価になりつつあり、今年の頭からこっち、HDDの低価格競争が激しかったのだが、先週末にはついに1TBが限定的とはいえ\10,000割れしたらしい。個人的にはそんな大容量は必要ないので食指は動かないが、動画などの容量を食うファイルをひたすらに収集している人には朗報なのだろう。
 しかしこうして記録領域が大容量化することは必ずしも良いことばかりではない。確かにHDDが足りなくなった場合でも圧縮したり、記録メディアにファイルを移す必要がなくなった(バックアップは必要だが)し、いらなくなったファイルもわざわざ選別して削除することも少なくなるだろう。だが、何もかもがそのまま記録しておけるということは、圧縮を始めとする様々な技術開発において弊害を生むと思う。大容量でも入ってしまう、ということは、容量を抑える工夫をしなくなる、ということだ。確かに表面上は問題ないだろうが、工夫をしないということは精緻な作業をしなくなることと同義だろう。必ず細かな問題を抱えやすくなるに違いない。


 TVゲームがいい例だ。そのことは以前に書いているので割愛するが、美しいゲームは増えても、楽しみつつも全力を注げるゲームは減った。また、リズムゲームにしろ、能力開発ゲームにしろ、結局は他の媒体からの転用に過ぎない。全ては工夫が失われたことが原因だ。