風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その128)

『外にばかり価値を求めるのは、内に何もないことの証左だ』


 自爆って、それじゃただの組織の犬じゃないか。(挨拶@爆熱番長)


 快晴。茹だるような暑さと湿度。今日“も”ガリガリ君が美味しい(何かフグ夫みたいだな…)。
 長期休みになると、相変わらずどこかへ出かける親子連れが目につく。色々な場所で見聞を深めることは子供の情操教育に良いとたまに耳にする。確かに多くのものを見て、様々な様式、風土、文化、思想の存在を知ることは悪くはない。しかし、かといって外にあるものばかり関心を向けさせようとするのは、さほど良いとも思えない。
 建築物同様、人間も基本的な土台がないと外からの圧力に簡単に揺れ動き、安定しない。そういった考えから、昔は新聞のような一種の思想書は子供には読ませないものだった。今では様々なものに触れさせることが良いとされているが、しかしそれでもそれらを解釈し、自らに取り込むには基本的なスタンスが必要だ。それがない人間が何を見聞きし、識ったところで右から左に流れていくだけだし、ときには押し潰されることもある。


 そういったことを無視し、ひたすら外に目を向けさせようとする大人の行為は、少し薄ら寒いものを感じる。まるで自分の中には子供に伝えるべきものが存在しないから、外にそれを求めているように見える。子供とどう付き合っていいのか分からない、という人がいるらしいが、ありのままの自分を見せるしかないのではあるまいか。その姿がどうであれ、子供はそれらを見て、自分なりのスタンスを構築するだろう。