風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その121)

スペシャリストであることは素晴らしいが、本当にそれしかできないのであれば、機械にも劣る』


 ○○製造マシーン、とか酷い侮辱じゃない?(挨拶)


 滔々と晴れ渡り暑い。しかし夜には急に気温が下がり、熱帯夜にはならなかった。エアコンも不要。窓を開けていれば、PCの熱もまったく問題ではなかった。
 昨日の話しだが、任天堂がソフトメーカー54社と共同でマジコンを輸入・販売している5社を提訴した(記事)。DQ5で対策が取られたから、そろそろかなと思っていたが、思いの他、早期に動いたという印象だ。
 裁判については現状で論じても仕方ないので書かないが、それにしてもマジコンを使ってコピープログラムを動作させてゲームをしている人は、何を目的にしているのだろう。単にお金がないのならそもそもマジコンだって買えないだろう。ならば個人の資産では買えないほどの多数のゲームをプレイするためなのかもしれないが、しかし個人資産で買えないような量をこなすほどの時間が、普通の人間には存在しないだろう。確かにゲームだけやって生きているような人もいるだろうが、果たしてそれは楽しいのか? すでに脅迫観念でゲームをやり続けているとしか思えないのだが、それは自虐的拷問というのではないか。


 ゲーマーとして優れていることがある種のステータスになることはそれなりに理解している。しかしどんなにゲーマーとして優れていても、他に何一つ自分でできることがなければ、人間としての機能を失っている。人間は極めて広い多様性を有する機械である。単一能の機械など、前時代的だと言わざるを得ない。