風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その122)

『突然何もかもが無に帰するとしても、何を慌てふためくことがあろうか』


 それでは良い終末を。(挨拶)


 晴れてはいたものの、朝は少しだけ涼しく、出かける際は楽だった。日中は相変わらず暑く、また各地で局地的な豪雨に見舞われたようだ。
 もし○○したらどうする?、といた類の質問をされることがある。大抵は、宝くじで1億円当たったら、とか、願い事がひとつ叶うなら、といったもので、こういったもしも話は人生が激変するような出来事に遭遇したらどうするかという趣旨のものが圧倒的に多い。
 しかし本当に人生が変わってしまうような“もしも”というのは、例えば、自分が異性だったら、犬猫だったら、といった実際には起こらない非現実的なものばかりだ。そもそも本当に起こり得るようなことで、人生そのものが根本から覆されてしまうようなことがあるだろうか。わずかな特異な場合を除いて、そういうことはまずないだろう。たとえいきなり大金が手に入ったとしても、それはやはりその人の人生の中で手に入りうる額に納まるだろう。一般人は数億円程度なら手に入る可能性があるが、数百億、数千億となってくるとありえないと断じてもよいだろう。


 残りわずかな時間で世界が終わるとしたらどうしますか、という問いに素直に答えるなら、どのように答えるだろうか。今までしなかったことをする? それとも最期までこれまで通り過ごすことを選択する? その答えによって、その人がこの世界をどう捉えているかが少し分かるかもしれない。