風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その119)

『要求を的確に伝えずに、相手に期待をかけることは無駄以外の何者でもない』


 うほほーい!(挨拶)


 今日も晴れて30℃超の日。もう2週間以上は続いているはずだが、いい加減慣れてきた感もあり。…単に汗のベタつきに慣れたというだけかもしれないが。
 日本人の心は思いやりと察し、みたいな言葉を特に年配の方は口にする。まあ、間違ってるとまでは思わないし、もとより日本人に限らず、想像力というものを有している人類には、それを可能とするだけの能力がある。しかしそういうスタイルの上に胡坐をかいて、口で言えば済むようなことまで言葉にせず、察することを要求する人はかなり多い。
 思いやりと察しというのは、ある意味で譲り合いだとも言える。つまりは互いが相手の立場で物事を考え、どうすれば相手を不快にせずに済むのか、何をすれば好感を持ってもらえるのかと想像する、人間関係上の常識的な素養のひとつでしかないのだ。それを一方的に心情を察することを要求するのはどうかしていると言わざるを得ない。人は他人の立場で考えることはできても、人の気持ちを知ることはできない。そうである以上、互いが譲り合い、一種の妥協点を見つける以外にない。


 仮にまったく思いやることや察することができない相手がいたとしたら、それはもはや自分とはまったく交わることのない人間、すなわち別世界の住人くらいだ。しかしそんな人に遭遇するのは、せいぜい一生に数回だろう。それ以外にそういう相手がいるなら、それは自分か相手が譲ろうとしていないからに過ぎない。