風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その118)

『情熱とは純粋な単位では測れない』


 ドラクエ狩りって知ってる?(挨拶)


 毎日、暑い暑いと書いているが、しかし夏バテを起こしているかといえば、そういうわけではない。汗をかくこと自体はそれほど不快ではないし、炎天下での活動は慣れている。要は比較の問題で、冬や、あるいはエアコンの影響下にある方が快適だという程度のこと。ちなみに今日も晴れて暑い。夕方、少し曇っていたが。
 東京駅で弁当屋の前を通りかかったら、列を成して整理券まで配られていたので、何を売っているのかと思ったら釜飯だった(横川の峠の釜飯っぽい)。個人的にまるっきり興味がないので、何故、そんなものに時間を浪費できるのかは解らないが、しかし欲しいものを得るために何かを犠牲にしてでも手に入れようとする行為は嫌いではない。
 街中で大量の行列を成すようなことがあると、すぐにどこかしらがそれを取材し、さも奇妙なことをしているような論調で表現する。そんな中で必ずといってよいほど語られるのが、先頭の人物がいつから並んでいるのかだ。それが昨晩以前からの場合、凄いですね〜、みたいな感じで賛美するが、しかし一体それの何が凄いのだろう。欲しいものが並べば手に入るのであれば、誰だって並ぶのではあるまいか。並んでいる時間で情熱の度合いを測っているつもりなのかもしれないが、情熱ってそんなに単純なものではないのでは?


 本気で凄いと評価しているのであれば、その人にはそういう物質的なものへの渇望が薄いのだろう。別にそれがおかしいとは思わない。ただ、そういう人がそれ以外への情熱を持っていることを願う。