風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その115)

『安いという理由で買う時代は終わった』


 痛みよりも、痛みを避けるために不慣れな姿勢をしてることによる疲れが目立つ。(挨拶@ぎっくり)


 今日も晴れて暑い。14時くらいまでは『夏影』を聞きながら凌いでいたが、一旦、出かけて帰宅するともう耐えられない。エアコンさん、こんにちは。
 買い物をしていると気付くのだが、最近はスーパーなどでも高価で品質の良いとされているブランドの品揃えが良くなっている。以前はとにかく安く安くという方向にばかり進んで、それと同時に“安くても良い品”というのが頻繁に聞かれたフレーズだった。しかし当然、高いものには高いなりの理由があり、安価なものには付加できない価値があり、逆に安いものには安くできるだけの理由があるのだ。案の定、そうやってより安くという方向ばかり目指した結果が偽装の雨アラレであり、ようやく社会がその異常さに気付いてきている。これは社会全体が豊かになって、安いものばかり追いかけることがなくなり、さらにはそういった局所的な不正に気を割くことができる余裕が生まれたからだ。


 確かに質が良くて安ければ文句はない。しかし同じものでも、より手間や工夫を加えることで高価にはなるものの、さらなる向上が図られる。これは摂理といってもよい。豊かになることで、そういうものの見方と審美眼が育つ。結果として安さばかりを追い求める風潮は衰えることになる。