風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その108)

『多くの人は、自分のために、他人の役に立ちたがっている』


 まったり、まったり、まったりな〜♪(挨拶)


 曇り時々晴れ。物凄く暑いというわけではないのだが、ジワジワ暑苦しくて不快。ここ半月ばかり軒先の植物が異様な速度で葉を茂らせている。よくハイスピードビデオカメラの映像で植物がウニョウニョ動きながら伸びているシーンがあるが、アレを気色悪いと感じるのは変だろうか?
 年配の方がよく口にすることで、若い人は思いやりに欠けるとか、自分勝手だ、という意見がある。そういうことを言う人が、実際にどれほど若い人を観察しているのかとか、では本人たちはどれほど他人のことを思いやり、無私の精神で社会に尽くしているのかはともかくとして、そういう言い分は昔から耳にする。
 昔のことは分からないが、しかし今現在、それほどまでに好き勝手をしている人間は多くはない。確かに社会貢献と言えるほどに何かのために行動している人もそれほど多くはないだろうが、潜在的に誰かの役に立ちたいと思っている人は少なくないと思う。そういう人は役に立つためにはどうすればいいのか考えられないのではあるまいか。その結果、一見、何もしていないか、ともすれば自分勝手な印象を周囲に与え、反感を抱かせるのだ。
 もちろん自分の判断で行動できないというのは無能以外の何者でもないでだが、しかしだからといってそういう人が悪人かといえばそういうわけでもない。誰かがお膳立てすれば、多くの人は率先して人の役に立とうとするだろう。


 誰かの役に立つことは気分がいい。これは博愛や自己犠牲への陶酔でもなんでもなく、自己保身、あるいは自己愛の裏返しだ。別に悪いことではない。そうやって人間は社会の中の自分を維持しているのだから。