風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その107)

『田舎に住むことは自分にはもちろん、社会そのものに負担をかける』


 居合番長、どうして金剛に負けんたんだ?(挨拶)


 晴れ時々曇り。どこかすっきりしない天気だが、暑さはしっかりと再来。別に根っからの運動嫌いというわけではないが、熱いのは大丈夫でも、暑いのはどうにも耐えられない。もうダメだ。
 相変わらず望郷主義的な風潮は世間にあるようで、何かというと地方を盛り上げようという企画を目にする。たとえば地方都市での出店に対して、自治体が助成金を出したり、あるいは少しでも住民を増やすために定年退職者を対象に空き家を改修して安く賃貸したりと、どうにかして栄えているように見せたいようだ。
 前提として住民が多く、お店がたくさんあれば栄えているのかといえば、個人的にはまったくそんなことは思わないのだが、まあともかくそうやって自治体組織を維持しようということなのだと思う。しかし前者も後者もそんなに上手くいくのかといえばそんなわけもなく、事実、5月上旬から募集していた秋田市での出店助成には1件も応募がなかったらしいし、後者の場合、近所に大型スーパーがあるから不便はありません、みたいな文句を見かけることも多いが、それまで都会に住んでいた人はそんなことに便利さを感じないと思う。だいたい、本来、田舎であることが売りのはずなのに、何でそんなことをアピールするのか、よく解らない。
 田舎に住むということは不便になるということだ。人が少なければ提供されるサービスが低下するのは必然だし、様々な負担を強いられることだろう。そういった負担を背負うことの対価として得られるものがあるかどうかが問題なのであって、都会と同じものを用意されても意味が無いことは誰にだって解ることだ。


 同時に、そうやって人口の少ない地域を維持し続けることは社会全体に負担をかける。小数の住民のためにインフラを整備・維持しなくてはならないし、その他にも余分な人手が要る。田舎が存在することは、それだけで社会の重荷になっていることは、どうしたって否定できない。