風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その104)

『どうしたいかなど、本人以外には分かるはずがない』


 あちゃっ、おちゃっ、玄米茶っ!(挨拶)


 晴れ時々曇り。湿度は高く、気温も高い。限界突破。10ヶ月ぶりに点けるエアコンは、それほど臭くはなかった。
 昨日書いた教職に就いている親類とたまたま会った。不正についてはまったく触れなかったが、親の身勝手さについて少し嘆いていた(風鈴製作者がではない)。趣旨としては、自分のさせたいことを子供にやらせるのではなく、子供のしたいことをさせてあげればよいのに、という感じ。まあ、ありきたりと言えばありきたりな教職者の愚痴である。もちろん面談などで彼女が直接親に忠告してもよいのだろうが、おそらくそれを聞き入れる保護者ではないということなのだろう。
 もとより他人である教師がいちいち親に意見することもないだろう。何しろ当事者はあくまでも子供自身だ。子供自身が親に、こんなことはしたくない、これをやりたい、と自己の意思を表明するべきだろう。多くの子供がとても“良い子”でワガママを言わないのは、大人が直接言わなくとも、社会全体にそれを許さない雰囲気が漂っているからである。そんな中で教師にできることは、そういう親の意思に反することを口にしても構わないのだ、ということを教えるくらいだと思う。


 多くの親は子供の将来の幸せのためにいろいろと学ばせるのだと言う。しかしそうなるという具体的な確証はまず無い。それならば子供の好きなようにやらせても同じことのはず(むしろ子供自身に決めさせた方が幾分か可能性が高いだろう)だが、それでも親が決めようとするのは、やはりそれが親自身の願望に過ぎないからだ。